きんぴらごぼうの名前の由来は浄瑠璃から、強さの代名詞になったわけ - 桃色の雫
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きんぴらごぼうの名前の由来は浄瑠璃から、強さの代名詞になったわけ

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きんぴらごぼうは、漢字では「金平牛蒡」と書きます。

牛蒡はともかく、金平はどこから来たのか、気になりますね。

料理そのものは、家庭料理の代表として、忘れてはならないものかと思いますし、居酒屋などでも酒の肴として、人気のある料理ですね。

健康食材としても、食物繊維がたくさん摂取できるので重宝されています。

まさに定番のおかずとして安定した人気を保っていると言えそうです。

しかし、昔はごぼうはアクが強く、見た目も悪いためにあまり好まれなかったとか。

そこで、きんぴらごぼうの出番だというわけです。

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きんぴらごぼうといえば何かホッとするお袋の味

ごぼうは健康食材として注目されている

ごぼうは腸を刺激して、排便を促してくれます。また、コレステロールを低下させるはたらきもあるそうです。

さらに、発がん物質などの有害物質を排泄してくれるので、ガンの予防にも役立つのではないかと、注目されているんです。

きんぴらごぼう、弁当に、少し入っているだけで、うれしくなります。まさに、日本の味として支持されています。

さて、この「きんぴらごぼう」ですが、どうして、金平という呼び名が付いたのでしょうか。

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金太郎の息子?

坂田金時の息子の名前が由来

金太郎としても知られる坂田金時。これは、誰でも知っている力持ちですね。クマと相撲を取ったという、あの歌です。

さて、その坂田金時の息子が金平という名でした。親譲りで豪勇無双の者として、人形浄瑠璃の世界で語り継がれているそうです。

今でも強いものの代名詞として、この金平=きんぴらという名前を使う場合があるそうです。

・金平足袋

極めて丈夫に出来た足袋のこと

・金平糊

にかわを混ぜてねばりけを強くしたのり

・金平人形

武勇伝の人形

きんぴらが生まれた経緯

人形浄瑠璃で語られた架空のお話

人形浄瑠璃は、江戸時代に人気を博した大衆芸能のひとつです。浄瑠璃と、からくり人形を使った、日本の伝統芸能ですね。

人形浄瑠璃は、安土桃山時代に生まれて、江戸時代になって盛んに上演されるようになったといわれています。

その人形浄瑠璃の人気の出し物のひとつが、金平浄瑠璃というものだったわけです。

内容は、裏切り者によって都を追われた源頼義を、四天王と呼ばれる戦士がサポートして守って、帰還を果たすというストーリーです。

その戦士のひとりが、坂田金平という名前で、設定は坂田金時=幼名が金太郎の息子だということだったんです。

ごぼうが食べられるようになった歴史

江戸時代には滋養がある食べ物として定着

ごぼうが日本に伝えられたのは、縄文時代から平安時代だと言われています。しかし、民衆に食べられるようになったのは、それからずいぶん後で、江戸時代だそうです。

それまでも、存在は知られていても、育てにくく、見た目も悪く、アクが強くて、料理がしにくい、というふうに見られていて、普及しませんでした。

江戸時代になってやっと日の目を見ますが、その普及の裏には、「ごぼう滋養強壮に効く」という評判でした。

そのために、強さの代名詞として、「きんぴら」が使われるようになったのではないかと言われています。

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