「毎日の生活には小さな幸せがたくさん隠れている。それをどう受け止めるか、そして、どんな態度で行動するか。朝起きて、太陽の光を受けること、家族と朝のあいさつを交わすこと。散歩して、木々の葉が色づいていることに季節の変化を感じた時、そこに幸せの鍵がひそんでいる。」
自分はこれがダメだ、これができない、こんなに不幸だ、と並べることでいいことが起こるのなら、いくらでもやってみたらいいでしょう。
人生の目的は、他人よりもどれだけすごいことをやったとか、世に名前を残したとか、世間から尊敬の目で見られるとか、そういったことじゃないと思うんですね。
でも、人は、そういった他人や世間のことと関わると、それが気になって、そこでの成功しか価値がないように思ってしまいます。
それは、まるで依存症のような強烈なものでもある、と思います。
そういった外部との関係のおける、快楽にも近い満足感、他人からの羨望の目を気にする生き方はなかなか人を自由にしてくれません。
はっきり言えば、そこには幸せは存在しないのではないでしょうか。
確かに、満足を得ることはできるし、充実感もあるでしょう。
しかし、それは、平家物語のようなもの。盛者必衰のことわり、のようなものです。
本当は自分のそばにあった幸せのタネを見逃して、外に求め続けて疲弊してしまい、いつの間にか、自分を見失ってしまうのは、何のために栄光を求めてきたのでしょうか。
他人との関わりは人生においては、全ておまけです。
それは感謝の気持ちで受け止めるべきであり、そこに目的を求めるのは筋違いなんですね。
日々の営みにこそ幸せの源がある、というのは間違いのないことのようです。