世の中にはありえないような理不尽が存在する。
それに比べたら、と思ったりして、自分に降りかかった災難?を自分で慰めてたりする。
ある日の夕方、バイクで近所の幹線道路を走っていた。日曜日で、すこし気分転換に、なんて思ってのんびりと走っていた。
もちろん、速度は制限以下で、二車線の左側を大人しく走っていた。ところが、気分よく走っていたところに、急に、右からパトカーがUターンしてきて、サイレンを鳴らしたのだ。
一緒に走っていた3台(自分のバイクも含めて)全部止まりなさい、ってなわけで、左側に止められて言われたのは「信号無視ですよ。」
「え?』
そう、全く自覚なしだったのだ。
「あそこの信号は二つが並んでいるので、手前の信号を青で入っても、次の信号では赤になっているので、気をつけてください」
なんていう、わけわからない?説明を受けて、
「そんなバカな」とほざいてみたが
「前の車も認めておりますので・・・」
と結局認めざるをえないことになった。
罪状は「信号無視、停止線通過時に赤に変わった」ということらしい。
せっかく頑張ってゴールド免許を維持していたのが、残念ながらブルーに変わってしまうらしい。
免許更新講習が長いバージョンを受けなければならないはずだ。
違反点数は2点。反則金は7000円。くそ!
『禍転じて福となす』なんていう諺もあるが、ここはグッと堪えて、考え方を変えるしかない。
そう、この禍は、極めて小さなもので、後々に響くようなものではない。
ということは、この禍がもっと大きな禍を起こらないように、警告を与えてくれているのだ、と思うことにした。(若干無理があるが)
まあ、あの信号の作りのことや、前の車が行ったんで、連いていったら違反になったとか、なぜ、あそこにパトカーがいたんだとか、疑問になることはいっぱいあるのだが、考えてもなんの得にもならないだろう。
そう、自分にとって得になる考え方は、「禍転じて福となす」の一つしかない、と思うことにした。
世の中には、もっともっと信じられないような理不尽なことが起こっていて、そのことで心を壊してしまったり、悔しさで夜も眠れない人がごまんといるのだ。
それと比較するのは本当に失礼だとは思うのだが、自分の心がけで防げるレベルなら、プラスに受け取るのが正解だと思ったりする。
同じことでも、困ったことにするかどうかは、考え方に負う部分が大きいのである。