阪神淡路大震災から、29年になります。
あの日、ぼくは自宅の近くでジョギングをしていて、大きな揺れに襲われました。
住んでいるのは大阪府の南部ですから、震源からは少し離れていたのですが、とんでもない揺れが突然きたので、どこへ逃げようかと、慌てたことを覚えています。
揺れの後、周りから地鳴りが押し寄せてきて、そちらの方が恐ろしかったのを記憶しています。
自宅に戻り、テレビをつけても、ほとんど情報がなく、逆に、大したことなかったのかな、と思ったほどでしたが、時間が経つにつれて、その状況がどんどん明らかになっていくのが信じられない状態でした。
高速道路が倒れている画像を見た時は、人間の活動というのは、ちっぽけなんだと痛感しましたし、長田区の大火事を見た時は、涙が止まらなかったものです。
今年も、その1.17がやってきます。今年は、新年早々に能登半島の大地震があり、今も現実に大変な状況の人とが多数おられることを思うと、災害というものにいかにして向き合うかは、人としていかに生きるか、という問題にもつながると思えてきます。
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やり遂げるための習慣化
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ぼくは3年前に退職して、その後、フリーランスとしての生活を始めました。
退職した直後は、時間がたくさんあり、なんでもできる、と思ったのに、そのうち、どう使ったらいいのか、少し複雑な気持ちに襲われてきました。
孫の世話をするのも楽しいのですが、やはり、自分の時間をコントロールしている感じではないので、不安になっていきました。
仕事をしている間は、通勤から帰宅までは、決まったリズムで生活しているので、残った時間を使うのは、優先順位の高いものをこなしていく、というだけで良かったのですが、退職後は、放っておくと、時間が余っている感じが強くなり、それは不安につながってしまいます。
本もよく読みました。映画も見ました。
でも、なぜか、時間を埋め合しているような虚しさが出てきます。この状態がずっと続くのかと思うと不安になります。
それから、少しずつ自分のやりたいこと、できることを取捨選択しつつ、時間をコントロールしてきて3年が経ちました。
副収入として大きな柱になっているパソコン転売、日頃の発信として可能性を広げ続けているX(旧Twitter)、そして、今後の発展につながる予定のメルマガというふうに、少しずつネットビジネスの環境も整ってきました。
趣味の世界では、新たにバンド活動にギタリストとして参加、ジャズフルートのレッスンも続け、趣味のピアノも練習を欠かすことはありません。
これだけのことをやっていると、結構時間が必要になり、なんとなくやっていると、時間が足りなくなります。そこで、必要になるのが、時間の使い方になってくるのです。