「学校でも、家庭でもいい子は褒められるだろう。しかし、いい子であることが、自分の本心を抑えているとしたら、これほどの不幸はないかも知れない。いい人であり続けようとすれば、他人からの評価ばかりが気になり、自分本来の姿を見ようとしないことになる。そろそろ、いい人はやめてみたらどうかな。」
いい人かどうかを決めるのは、他人の評価でしょう
子供時代、親からいい子だと言われたい、と思うのは普通のことですね。
小学校時代、いい子だと思われたいのは、先生に評価をしてもらいたいという欲求からでしょう。
しかし、自我が育ってきて、他人と自分の違いについて、しっかりと判断ができるようになると、普通は、親や先生から褒められるなんていうのは、あまり行動の原動力にはならないものです。
しかし、小さい時の親からの評価や、先生や周りの他人の評価に応えようとする思いが強く、それによって、自分の思いを抑え込んでしまう場合が結構多いみたいなんですね。
そうすると、行動の基準は、「自分はいいことをしている」とか、「正しい行動を選択する」というふうな、どこかに周りからの評価を期待しているようなものになってしまうのではないでしょうか。
自分の中に、確固たる判断基準を持つことで、自己評価が高くなり、肯定感も増します。
ところが、他人の評価や言動に判断基準を持ってしまうと、自己評価は下がってしまい、肯定感が育ちません。
特に人の評価や評判を考えなくても、人の役に立つことや、社会に貢献する行動を選べば、自ずと評価は上がってきますし、いつも機嫌が良く、笑顔が多いだけで、いつのまにか他人の評価は上がってきたりします。
それも、全て結果としてのことで、それを期待しての行動ではないから、うまくいくのではないでしょうか。
いい人じゃなく、自分自身が生きやすい生き方で、楽しく、のびのびと暮らしていけたら、それで十分ですね。