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幸福感を手に入れることは難しい

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「自分自身の人生を捧げよう、というほどの大義名分が見つかる人は、今の日本ではいないだろう。かといって、生きているだけで幸せ、というような幸福感も手に入れることは難しい。要するに、日本の国でやりがいや生きがい、さらには幸福を手に入れるのは、至難の業だと言い切れるんじゃないかな。」

生きがい、というものの意味はきちんと捉えた方がいいと思います。

なぜなら、時代を遡れば、生きるための大義名分、というのが生き甲斐になってしまうことが当たり前だった、ということなんですね。

人は、自分が生まれた場所や家、国によって、ほぼ生き方は決められていて、その生き方を貫くための大義名分が存在し、そのために生きること、さらには死ぬことですらそこにつながっていたのです。

それは、時代というより、人が集団化した段階で、それがなければお互いに生きていけないという、相互関係があって、それは個人の生き方とは無関係に存在していたはずです。

さて、それは昔のこと。

現代社会では、さまざまなことが変化し、個人の生き方そのものが、社会に束縛されずに選べる、というふうになっていたように思います。

しかし、そこには落とし穴もたくさんあります。

それは、社会も国も、個人を守る義務を持たなくなったということです。

個人と社会が密接に結びついていた時代では、個人よりも社会が優先されるので、その分個人は社会が守るという関係があったんですね。

今は、個人主義が尊重され、社会は個人を守る必要がなくなってしまったようにも思います。

だから、生き甲斐もやりがいも個人が自分の責任で手に入れるしかない。大義名分は存在しないのです。

幸福も自分で手に入れるしかない、ということを考えれば、ひょっとしたら、自由というものは尊い反面、とても残酷なもののように見えてきますね。

生き方・考え方・習慣
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