八戸の名物せんべい汁の起源と歴史、作り方

八戸の名物せんべい汁

八戸地方の郷土料理

肉や魚、野菜やきのこ等でだしを取って、その中に、小麦粉と塩でつくる鍋用の南部せんべいを割りいれて、煮込んで食べます。

使用するせんべいは、一般的には小麦粉・塩を原料とした「おつゆせんべい」などと呼ばれるものです。

これは、汁もの専用に開発されたものだそうです。煮込んでも、とけにくく食べると独特の食感があるように工夫して焼き上げたものだんですね。

せんべい汁だと言って、天かすのようにドロドロに溶けてしまったせんべいが入っていたりして、がっかりしたという話をよく聞きます。

あれは、調理法がまちがっていたり、違うせんべいを使っていたるする「ニセせんべい汁」だと考えられますから注意しましょう。

せんべい汁の起源

南部せんべいとせんべい汁

南部せんべい

江戸時代後期の文化文政のころです。江戸の食文化が五穀中心の主食に変化してきました。その影響か、南部八戸地方で独自の食文化ができあがります。

その特徴は、半熟焼きの麦せんべいや蕎麦せんべいです。現在の「南部せんべい」の元になった物です。

この麦せんべいや蕎麦せんべいを、主食や間食としてそのまま食べていたわけですが、それが変化していきます。

せんべい汁

八戸地域は春から初夏にかけてヤマセと呼ばれる、冷たく湿った風が吹きます。この影響で、冷害も多く、稲作には適していなかったのです。

そのために、小麦や蕎麦などの栽培が盛んになり、それらを粉に挽いてせんべいを作って食べる食文化がうまれたといわれています。

そのせんべいを、野菜や肉など、季節の具材を入れた汁物に、ちぎって入れる食べ方が生まれたわけです。これが「せんべい汁」となっていきます。

せんべい汁の歴史

せんべい焼器の登場

南部せんべいは、もともと、各家庭の囲炉裏の火元で焼かれていたものです。それが、鉄製のせんべい焼器の登場で、製造地域は八戸以外にも広がったわけです。

麦せんべいへの転換

また、明治30年代に入ると、南部せんべいは、現在のような硬焼の麦せんべいに代わっていきました。蕎麦せんべいは堅焼きができないので、衰退します。

八戸のせんべい汁

昭和30年頃、煮込んでもとけにくいおつゆせんべいが登場しました。それによって、「せんべい汁」といえば堅焼の白いおつゆせんべいを指すようになったといわれています。

昭和40年代に全国的な郷土料理ブームがあって、八戸地方の郷土料理として「八戸のせんべい汁」が紹介されました。それで、せんべい汁が広まりはじめます。

もともと地元では家庭料理として食べられてきたもので、人におもてなしをするために出すようなものではなかったようです。

2003年に全国的に大ブレイクします。いまや八戸地方に生まれたせんべい汁が、「八戸せんべい汁」として知名度が上がったわけです。

せんべい汁の作り方

地鶏で作るせんべい汁レシピ

<材料>

分量は4人前です。
・地鶏もも肉  200g
・にんじん   1/2本
・ごぼう    1本
・舞茸     150g
・白たき    150g
・キャベツ   4枚
・長ねぎ     1/2本
・せんべい   4~6枚
・水      800cc
・菜種油    大さじ1
・調理酒    100cc
・煮干し出汁  200cc
・しょうゆ   大さじ1~2
・塩      大さじ1

<作り方>

1.にんじんとごぼうを笹がきにします。しらたきを約3cm幅に切り、舞茸は、じくを落として手でさきます。地鶏もも肉を約1.5cm幅に切ります。
2.にんじんとごぼう、しらたき、舞茸と地鶏もも肉を、菜種油で強火で炒めます。全体的に火が通ったら水を入れて強火で煮ます。あくを取った後、煮干し出汁を入れ、煮立ってから調理酒を入れます。
3.煮立った後、しょうゆと塩を入れ、手でちぎったキャベツと約1/4に割ったせんべいを入れて中火で煮ます。
4.沸騰したら火をとめます。斜め切りにした長ねぎを入れ弱火で煮て、長ねぎに火が通ったら完成です。

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