元号とは?
王の即位に合わせて決めた
年につけた名前ですが、もともと、暦を決めたのが支配者の都合で、一般庶民は暮らしに必要なことしかいらなかったはずです。
しかし、支配者はその支配の状態を年号の制定という暦に格付けをして、庶民に支配者を敬うように仕向けていったわけです。
したがって、古くは支配者の王や皇帝の即位からの年を数えたのです。そして、最初の年を起算年として、元年が考案され、そこから、元号という呼び名ができたそうです。
中国では、漢の武帝のときから元号が使用されはじめたようです。その後、次第に近隣の諸国でもこの方法を模していくことになり、使われました。
じつは、現在元号を使用している国は日本だけだそうです。元号が正式に制定されたのは645年の大化です。
元号の役割
天皇の存在を広めるため
かつて、改元の理由としては祥瑞、災害といったことをきっかけに決められていたようです。
元号に用いられる漢字は中国の古典から取ってきていました。明治よりも前は、年号勘文が出て、上卿の討議で決められて改元の詔書が出されて決定と言うことでした。
その改元のもたらす効果というものがかつては考えられていたようです。それは、時間=暦を支配することは支配者の権力を示す行為だったということなんです。
したがって、元号そのもののもたらす効果そのものが、西暦を使う現代とは全く異なっていたわけです。
日本では、明治時代に、西洋のグレゴリオ歴と日付が異なるのが不便だということで、政府は明治5年12月2日の翌日を1873年(明治6年)1月1日にしました。
元号の変遷
現実と天皇制とのギャップも
中国の前漢時代のことです。武帝が即位した翌年の紀元前140年を健元元年と定めたのが元号の始まりだそうです。
日本では645年に、孝徳天皇が中国にならって大化元号と初の元号ををたてたといわれています。
その後、中断期間もありつつ、元号は1300年以上も続いているわけで、この長さは、やはり意味がないとは言えません。
改元は現在では皇位の継承があった場合に限られています。しかし、かつては天災や飢饉を理由に、何度も変わり、200以上の改元の歴史があります。
元号の今後は?
時代のながれで元号はどうなる
明治維新で一世一元の制を採用することが決められました。しかし、1947年に新たに制定された皇室典範には元号に関する規定がなかったので、元号の法的根拠はなくなりました。
しかし、1979年の元号法の制定で、新しい法的根拠ができて、現在に至っています。中国や近隣諸国ではすでに革命などを経て廃止されています。
元号法の規定では、選定手続きも定められていて、首相が学者に委嘱し候補作成を依頼し、いくつかの条件を満たした元号を制定することになっています。
元号の条件とは
・国民の理想としてふさわしい良い意味
・漢字2字
・読み書きしやすい
・過去に使われていない
・俗用されていない
ということになっているそうです。