ひな祭り、初節句を飾る雛人形や花飾り、風情のある流し雛の行事も

旧暦の3月3日は桃は満開

現在は温室咲きの桃で桃の節句を彩る

桜が咲く前の3月下旬から4月頃にかけて、ピンクの花が咲き誇る風景を見たことありますね。あの風景はだいたい実桃といって、ほかにも赤、白の桃に花もあるんですよ。

花の大きさは3~4cmくらいです。花の形も一重咲きや八重咲きなど、バリエーションがありるんです。

先ほども言った、実桃は、桜に似た一重のものが多くて色もピンクです。花桃は八重桜に似ています。

花の色が艶やかで、それを楽しめる桃は、女性を象徴する存在として古くから愛されてきたんだそうです。

桃の漢字の兆は妊娠の兆し

花の色から生まれた桃色という色名

桃が「もも」と呼ばれるようになったのは、桃の実が赤いことからきているそうです。赤く燃えるような色なので「もえみ(燃実)」が転じて「もも」と呼ばれるようになったそうです。

中国で生まれた桃の花

桃は2500年ほど前から中国で栽培されていたそうです。古来からさまざまな書物に桃の記録が載っています。日本には弥生時代以前に伝わったことそうです。

桃の花は、厄払いや魔除けの力を持ち、長寿をもたらすといわれているんです。そのパワーに人々が救われたという多くの伝説が伝えられているそうです。

桃の花を上巳の節句に供えるのも、桃の花の持つ生命力の象徴としての面からです。そして、桃をひな祭りに飾る習慣が続いているんですね。

五節句のうちの1つ「桃の節句」

もとは季節の変わり目に備える食べ物

節とは季節の変わり目の事です。陰暦の二十四節気を補助するものとして定められています。

その、節のうちでも、特に気候が変わりやすい節目を五つの節と定めて、これを無事に過ごせるようと無病息災の厄祓い日とした風習からきているんですね。

五節句は1月7日の人日(別名:七草節句、白馬の節会)、3月3日の上巳(別名:桃の節句)、5月5日の端午(別名:菖蒲の節句)、7月7日の七夕(別名:星祭)、9月9日の重陽(別名:菊の節句)の5つの節句のことを言います。

節句は、宮中の行事で、天皇などに対して、節に出された料理を節供(せっく)と呼んだところから来ているそうです。

ひな祭りは上巳の節句

ひな祭りの起源は旧暦で上巳と呼ばれる3月3日に、みそぎ払いのため水辺で身を清め、季節の植物を食べる曲水の宴という風習からきていると言われています。

さらに、その頃は桃の花が盛んに咲くことから、上巳の日は別名「桃の節句」と呼ばれるようになったんですね。

雛人形の由来はちょっと怖いかも

人形は災いを引き受ける身代わりになった

平安時代に、貴族の子女が「ひいな遊び」をしたという記録が残っているそうです。その遊びの中で、紙などで作った人形と道具を使って遊んだところからきているんですね。

その後、人形は、季節の節目の行事における身代わりとしても使われたんです。紙人形に厄を移し、身代わりとなった人形を川へ流して災いを遠ざけるんですね。

各地で行われている「流しひな」は、この風習の名残といわれているんですね。

ひな人形は江戸時代に飾り雛経へ

江戸の中期、元禄時代のころには、人形を使った季節の風習が庶民にも広たっていたそうです。そして、次第に豪華なひな人形が作られるようになったんです。

しかし、江戸後期には贅沢を規制する幕府方針が出ます。そして、小型で細密な雛が作られるようになります。そして、庶民向けの段飾りも生まれたそうです。

雛人形の世界も様変わりの様相を呈している

本来は女の子の将来の幸せを願うもの

女の子が生まれると、子どもの健やかな成長と幸せを願ってお雛様を飾りますね。ひな祭りは、そんな思いを込めたお祝いです。

夫婦の人形には、将来の幸せな結婚を願ってのものだと言うことですね。もちろん、雛人形飾りは、結婚式の場面を表現したものだといわれています。

雛人形の由来

雛人形は、古い文献では、「ひひな」または「ひいな」と記録されています。「ひひな」とか「ひいな」は、平安時代の中期には記述があるそうです。

紫式部の「源氏物語」や、清少納言の「枕草子」には「ひいな遊び」という言葉が出てくるんですよ。

これは紙でつくった人形や布を用いて簡単につくられた人形や、当時の身の回りの道具類を模したお道具類などで遊ぶ、今の「ままごと遊び」のようなものだそうです。

これが、雛人形の元祖と考えてもいいと考えられているそうです。

「ひいな遊び」については諸説があるようですが、夫婦に模した「ひいな」を中心とした遊びをしていたことや、宮廷で広く行われていたことは事実のようですね。

桃の節句とは?

初節句は3月3日、上巳の節句

旧暦の3月3日は桃の節句です。3月最初の節句と言うことで、「上巳の節句」と言います。新暦では3月30日だそうです。

ひなまつりでは、子どもに災いが降りかからないようにとか、幸せな人生をが得られる様にという願いを込めてひな人形を飾るようになったんですね。

初節句とは、子どもが生まれて初めて迎える節句のことです。節句というのは季節の変わり目のことでね。

いつから女性のための祭になったのか

この頃は桃の花が咲く時期なので「桃の節句」と言う名もあります。ひな祭りが女性だけのお祭りになったのは、戦国の世が終り平和になった江戸時代のことだといわれています。

江戸時代になると、各家庭で雛人形を飾ってひな祭りをすることが広まっていきます。そして、江戸中期には女の子の誕生を祝って初節句にひなを飾るようになったと言われています。

流し雛の風習とは?

地方によっては、ひなまつりには流し雛の行事がありますね。あれはもともと、平安時代の人形遊びと、人形に厄を移して流した「流しびな」の行事が結びついたものだそうです。

今では、ひな祭りでは、人形が身代わりになって、子供に災いが降りかからないようにという願いがこもっているとも言われます。

雛人形の準備から片付けまで

人形を用意するのは?

そろそろ雛人形を準備する日が近づいてきたとき、問題になるのは、誰が雛人形を準備するのかということですね。

一般的には「夫婦の親」が用意するらしいのですが、はたしてどちらの親が用意するのか気になりますね。

よく言われるのは、雛人形は女親の実家から用意するというものでしょう。つまり、赤ちゃんのお母さんの実家から贈るということですね。

人形を飾る時期、片付ける時期

これは、立春(二月四日)が始まりと考えたらいいそうです。遅くとも二月中旬から節句の一週間前までには飾ります。

片付けは節句がすんだら早めに、遅くとも三月中旬までです。人形は、湿気・ほこり・汚れを嫌いますから天気のよい、乾燥している日にきちんとしまいます。

もし、都合で人形を手放すときは、全国各地で行われている人形供養を受け、納めてもらったらいいでしょう。

雛人形の特徴

雛人形の種類

雛人形は、女の子の成長を願って飾る男女一対を基本とする人形ですが、その雛人形には大きく分けて2つあるそうです。

それは、衣裳着(いしょうぎ)人形と木目込(きめこみ)人形です。

衣裳着人形

これは、仕立て上げた着物を着せ付けて作った人形です。

木目込人形

これは、型の溝に沿って裂を貼り込んだ人形です。

飾り方は3通り

親王飾り

最上段の男女一対の人形となる親王さまだけを飾ります。

七段飾り

雛人形が15人揃った段飾りです。

五人飾り

親王に三人官女を加えた段飾りで、二段または三段です。

雛人形が作られる産地

京都で作られる雛人形を京雛といいます。それに対して、関東で作られる雛人形を関東雛というんですね。

京雛

目はやや細めで、京頭といわれる独特のおっとりした顔立ちが特徴です。向かって右側にお殿様が座っています。

関東雛

頭ははっきりした目鼻立ちをしていて、向かって左にお殿様が座っています。

雛祭りと流し雛の深い関係

どちらも、子どもの成長を願うもの

流しびなの風習は平安時代に始まったとされています。子どもの健やかな成長を願って、小さな人形を子どもの身代わりに川や海に流します。

このように、流し雛は、罪やけがれを移して形代(かたしろ)を流すという、厄を払う行事で、ひな祭りの原型とされているそうです。

京都下鴨神社のひな祭り

雛人形をみたらし川に流す行事

京都の下鴨神社では、結婚を控えた男女が、十二単に衣冠装束姿に身を包んで、桟俵に乗せた和紙人形を境内の御手洗川に流すというひな祭りがあります。

この祭では、十二単・束帯衣着付けの披露や、お内裏さまと記念撮影などの行事が行われていて、とても多くの人が訪れるんですね。

この祭でも、雛人形を流すのは、子供たちの無病息災を祈る神事です。このように、ひな祭りは、もともとけがれを雛に託して祓う神事だったんです。

流しびなは平安時代に始まったといわれます。子どもの健やかな成長を願って小さな人形を子どもの身代わりに川や海に流し厄を払う行事で、ひな祭りの原型とされているんです。
今では、女の子が生まれたら無事大きく育つことを願い、小さな人形を飾るお祭りとなっていますが、今でも各地に流し雛の風習は残っているんですね。

県無形民俗文化財の「もちがせの雛送り」

ひな流しと言えば、鳥取県

ここのひな流しは当日訪れた観光客も流しびなを購入して流すことができます。みんなで盛り上げて、城下町・宿場町としての町おこしの一環になっているんですね。

もちがせの流しびなは旧暦の三月三日のひなまつりに行われます。したがって、今の暦では4月になります。

男女一対の紙でできた雛人形を桟俵にのせます。桃の小枝と椿の花や菜の花を添えて、災厄を託して千代川に流すのです。

そして、無病息災で1年間幸せに生活できますようにと願う、情緒豊かな民俗行事なんです。

ひな飾りの公開

もちがせ流しびなの日には、その家に古くから伝わる雛人形や、雛人形にまつわるものなどを飾りつけた、ひな飾り公開を行っているんです。

じつは、この行事は、町民の個人宅を開放して行っています。そういうわけで、この地域の民俗を知る上で非常に重要な体験ができるんですね。

また流しびなの製作実演や手作り体験が楽しめます。千代川の河川敷ではひな流し体験が行われています。

町内施設の「流しびなの館」では、伝統的な流しびなをはじめ、江戸時代からの貴重な雛人形が800体余りも展示されています。

ひな祭りの起源

雛人形の「ひな」とは?

ひな祭りは、平安時代の貴族の子らが紙の人形を用いて遊んだ、ひいな遊びに由来しているといわれているんです。

中国伝来の上巳の節では、物忌みの行事として、紙などでひとがた(人形)を作って、これに災いうつして川や海に流すという行事があって、それとひな祭りが合わさります。

「源氏物語」にも源氏の君が祓いをして人形を舟に乗せ、須磨の海へ流すという著述があります。このことから雛流しの原型は、平安時代にさかのぼるといわれているんです。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク