朝鮮戦争の原因と結果、休戦協定や日本の関わりとは?

お隣の国のことなのに、あまりに知らない

日本が大きく関わってきた朝鮮半島の歴史

1897年から1910年までは大韓帝国という国が半島を統一していました。しかし、1910年からは、日本の統治下になります。いわゆる、日韓併合です。

そして、第二次世界大戦が1945年に終結。それとともに日本も朝鮮半島から撤退します。その後、朝鮮半島は南北に分かれて統治されます。

北はソ連、南はアメリカが統治していたのですが、統治期間は当初5ヵ年と決まっていました。その後は、朝鮮半島は統一されるはずだったんです。

朝鮮半島全域の選挙を計画していましたが、米ソ冷戦を背景にあったためか、分断が固定化され、選挙は実施できませんでした。

そこで、ついに、南半分だけで選挙が行われ、1948年8月に大韓民国が成立します。

それに対抗して、ソ連の後ろ盾を得た金日成が首相となって、9月に朝鮮民主主義人民共和国が成立したのです。

これで、ほぼ南北の分断は決定的になってしまいます。複雑な世界情勢や歴史が作り出してしまった現在の韓国と北朝鮮だったわけです。

朝鮮戦争の原因

第二次世界大戦後の南北統治が原因

第二次世界大戦後の軍事統治のとき、国連での話し合いは、戦争中にいったんは連合軍が占領しておいて、その後の朝鮮民族の独立国家建設を支援しようということになっていたそうです。

当初は、1947年1月に国連の監視のもとで、南北総選挙を実施して、朝鮮半島に統一政府を樹立すると決めていたんですね。

ですが、ソ連の支配する朝鮮半島北部では1946年2月にすでに北朝鮮臨時人員委員会が発足していたのです。委員長は金日成でした。

そのため、ソ連は南北総選挙をかたくなに拒みました。そこで、とりあえず南半分だけでもと1948年5月に南半分のみで選挙が実施されたわけです。

その選挙の結果、1948年8月に大韓民国が成立します。それに対抗してか、翌年の9月に朝鮮民主主義人民共和国が成立します。

同じ朝鮮民族が暮らし、統一の可能性が模索されていた2国が、これを機に本格的な分断へと至ってしまいます。

1950年に朝鮮戦争が起こりました。もとは、38度線付近の小競り合いから北朝鮮は、ソ連から武器を中国から兵の支援を受けて韓国に攻め入ったんですね。

当初は北朝鮮有利に展開しました。ソウルも占領されます。ところが、韓国側にはアメリカを中心とした国連軍が韓国の支持を表明して、参戦、形勢が逆転していきます。

朝鮮戦争の結果

もたらされたもの

北朝鮮は中国国境まで追いつめられると、中国から100万の軍が駆けつけ、膠着状態に陥ります。

朝鮮戦争は約3年続きます。1953年の7月27日に、やっと、南北の代表とソ連およびアメリカの代表が会合をおこなって、休戦協定が結ばれたわけです。

さて、この休戦協定の受け取り方も南北では違います。韓国では北の動乱、北朝鮮では戦争に勝利と極端なんですね。

死者は、南北合わせて500万人にものぼりました。街は荒廃し、多くの戦争孤児ができてしまい、朝鮮半島は大混乱したのです。

分断された民族

未だ休戦状態の南北

1945年の第二次世界大戦の終結で日本は撤退、朝鮮半島がソ連とアメリカによって、分断統治されます。

そのとき初めて、それまでひとつの国だった朝鮮民族が、分断されてしまったわけです。
その後も、アメリカとソ連の対立にあおられるように、両国は統一されることなく時間が過ぎていってしまったのです。

朝鮮戦争は1950年から3年間、泥沼化します。韓国にはアメリカが、北朝鮮には直接介入を避けるソ連の代わりに中国が本格支援をおこないました。

というわけで資本主義と社会主義という形の対立が、この戦争でさらにその対立を激化させていったわけです。

休戦状態の理由

1953年に交わされた協定は「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」という内容のものです。

ということは、あくまで戦闘などの停止を意味していて、最終的な戦争終了のためには平和条約の締結が必要となるのです。

北朝鮮も数回、平和交渉に代わる提案をおこないましたが、その内容には南側が折り合わず、朝鮮半島の溝は深まる一方なんですね。

2013年には、北朝鮮は朝鮮戦争休戦協定の「白紙化」を一方的に宣言したんです。それに対して、国連の報道官は「協定からの一方的な離脱は許されていない。今でも有効だ」と述べています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする