八尾町の人気の盆踊り
越中八尾おわら風の盆とは
山間の小さな町、富山市八尾町は山間の小さな町です。このまつり以外のときに訪れても、本当に、こじんまりとした町です。
それが、立春から数えて二百十日にあたる9月1日、「おわら風の盆」が始まると、一変します。
実は、その前夜祭から、もうすでに始まっています。そして、人々は、三日間にわたって、民謡「越中おわら節」に酔いしれるのです。
不思議な響きは胡弓と三味線がつむぎだします。絞り出すような歌声が石畳の町並みに響きます。
ここに、艶やかな浴衣に身を包んで、編笠に顔を隠した踊り子達が踊る姿を一目見ようと、二千人ほどが住む町に、二十万人以上の観光客が訪れるのです。
八尾の歴史
富山市八尾町は、「やつお」と呼びます。幕末から明治にかけて、生糸の取引で栄えたそうです。
そこで、花街が作られて、集う芸者や旦那衆が、おわらの盆踊りに磨きをかけて、さらに洗練させてきたのです。
おわらのまつりには、賑やかさや派手さは全くありません。しかし、そこには、人々のつむいできた歴史が映し出されているようです。
おわら風の盆の由来
おわらとは?
おわらと呼ばれるようになったのは、いくつかの説があるそうです。ひとつは、江戸時代に、七五調の唄に「おわらひ=大笑い」という言葉を挟んだというものです。
他に、豊年万作を祈念した「おおわら=大藁」という説や、小原村の娘が唄い始めたからと言う説があるそうです。
風の盆とは?
二百十日の前後は、昔から台風到来の時節でした。そこで、昔から収穫前の稲が台風の被害を免れるよう、豊作の祭りを行ってきたのです。
風がおさまることを祈願すると言うことで、その祭りのことを「風の盆」というようになったということです。
おわらの歴史
おわらがいつどの時期に始まったのかは、明確な文献が残っていないので、はっきりしないそうです。
唯一「越中婦負郡志」という文書に、元禄15年=1702年3月に、八尾の町衆が加賀藩から下された「町建御墨付」というものを、取り戻したとあります。
その祝いを、三日三晩、歌舞音曲を無礼講で町を練り歩いたのが始まりではないか、と推測しています。
そういう経緯から、春祭りの三日三晩、三味線、太鼓、尺八など鳴り物も鳴らして浄瑠璃などを唄って練りあるいたのです。
それが、孟蘭盆会にもひろがり、やがて二百十日の風の厄日に「風の盆」とよばれる祭りへと変化して、9月1日から3日に行うようになったといわれています。
おわらで見られる踊り
3通りの踊りとは?
おわらは時代と共に踊りも変わってきました。現在は3通りの踊りが伝わってきています。
1.豊年踊り
古くからある踊りで、種まき、稲刈りといったふうな農作業の動きをします。手や指先を巻くようにします。豊年踊りは「旧踊り」と呼ばれることもあるそうです。
2.男踊り
男性の舞台用として振り付けられました。日本舞踊の若柳吉三郎によって振り付けられ、直線的力強さで農作業の所作を表現した踊りです。
3.女踊り
女性の舞台用として振り付けられました。四季踊りともいわれ、俳人小杉放庵の「八尾四季」のために振り付けられたものだそうです。
その後、夏の河原で女性が蛍取りに興じる姿を表しているといわれる女踊りが完成したのです。振り付けは、男踊りと同じく若柳吉三郎です。
おわらが見られる日は?
見逃せない三日間
おわらで最も特徴的なのは、あの深くかぶった編み笠でしょうか。何とも神秘的な印象です。
そして、流れるようにしなやかで艶やかな「女踊り」と、力強く躍動的な「男踊り」。そこへ、印象的な胡弓の音色にのでて唄われる「おわら節」です。
祭りを特徴付ける3通りの踊り
1.町流し
地方=じかたの演奏とともに各町の踊り手たちはおわらを踊りながら町内を練り歩きます。
2.輪踊り
地方が中心になって、踊り手たちは輪を作って踊ります。
3.舞台踊り
演舞場で競演会をしたり、各町に設置される特設ステージ上で各町が独自の演技を披露したいりします。
例年のおわら風の盆の日程
1.前夜祭
8月20日~8月30日 20:00~22:00
2.おわら風の盆
9月1日~9月2日 15:00~23:00
9月3日 19:00~
3.会場
富山県富山市八尾町