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ゆとりある自由な人生を語る

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ぼくは、子供時代は戦後の混乱の最中、
どちらかといえば、ギリギリの生活の中で
成長して行ったように思います。

ただ、当時は、そういった家庭が本当に多く、
逆に、裕福な家が不思議に思えたくらいです。

高校も、公立高校しか行けない状態でしたし、
浪人時代は、新聞配達で住み込みで予備校に通ったくらいです。

大学も、バイクで通える、近所の公立大学を
選んで、必死で勉強して合格しました。

当時の授業料は、公立大学はまだまだ安く、
月に1000円、1年で12000円でした。

昼ごはんも、食堂で、130円のカツ丼を
好んで食べていました。

大学を卒業するときは、いろいろ考えましたが、
自分の特性から考えて、教師がいいかな、
と思い、中学校の教師になりました。

こう書くと簡単になったようですが、
試験は熾烈を極めていました。

実は、その時は、中学1年生が丙午の学年で、
生徒数が激減、採用数も少なくなったのです。

よりによって、そんな年に巡り合ってしまいましたが、
他の道を安易に選ぶこともできないので、
必死で勉強しました。

結婚するときは、共稼ぎで、
自立した女性を選ぼうと思っていました。

そして、その後小学校の先生になる女性と巡り合い、
その後結婚しました。

共稼ぎで行くと、二人の年収は
軽く1000万円を超えます。

家も手に入れ、車も2台持って
子供も二人授かりました。

60歳で定年退職後に、再任用で5年間働き、
65歳で現場を去りました。

ここから年金生活に入りました。

実は、ここからが、一番悩んだところです。

どうやって、毎日を充実させようかと。

さて、年金は大したことないので、それに頼っては
結局、切り崩すことになります。

だから、生活のゆとりを手に入れるのは
副業しかない、と思ったのです。

実は、パソコンが好きで、
ネットビジネスの真似事は、
昔からやっていました、

しかし、大きく儲けることもなく、
借金の方が多かった状態です。

退職時は、アドセンスブログで
月に1万円ほどを稼いでいるのがやっとという状態でした。

無職になったその五月に
個人事業主として、登録しました。

そして、副収入をどう進めるか、
いろいろと情報を集めて、考えていたわけです。
そのために、メルマガをいくつか購読していました。

そして、秋になり、そのメルマガの情報から
システムアフィリでメルマガに挑戦しようと
考えました。

ところが、メルマガはそんなに簡単なものではありません。

それなりの、実績も必要ですし、
それ以上に、こうしたい、という目標が重要です。

年金生活になり、どこか、甘いところもあったので、
すぐにメルマガを始める気分になれず、
ちょっと、自分の選択を後悔しました。

しかし、やり遂げたい、という気の方が大きく、
個人コンサルを受けることにしました。

この時は丸々借金ですが、メルマガ塾は6ヶ月単位ですが、
コンサルは1年あるので、やってみようと思ったのです。

そんな中で、パソコン転売の話を聞き、
メルマガの勉強と並行して
やってみないか、という話になったのです。

まあ、これは、コンサル生はこのパソコン転売塾の
塾代が免除されるという特典もあったのが理由です。

そして、パソコン転売では1年後には
月に10万円を超える利益を出せるようになり、
メルマガの作り方も学び、ステップメールの
設定もできるようになりました。

借金も返済でき、自由でゆとりある生活の
土台ができつつありました。

そんな時、出会ったのがツイッターでした。

特に、ツイッターでなんかしたい、
という気はありませんでした。

というのは、今のことだけでも
十分だと思っていたからです。

しかし、当時、メルマガの読者を増やすことに
苦戦していたので、ツイッターを使って、
メルマガ読者を増やせたらいいな、
という、軽い気持ちで始めたわけです。

今も、基本は変わっていません。

メルマガやステップメールの
読者獲得に少しでも貢献してくれたら、
ラッキーなんですね。

そして、ツイッターは
ぼくがゆとりある自由な生活を送ることの
大切さと、素晴らしさを語る場所として
これからも充実させていきたいのです。

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