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ながらスマホ運転はどうなの

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「スマホを見ながら車を運転している人がいる。その先に起こるかも知れない不幸のことは脳裏に浮かばないのだろう。万全の注意をしても、事故は起こるかも知れないのだ。しかし、保険で解決できる事故ならラッキーだ。命を奪ってしまったり、自分の命を失ったりしたら、もうすでに時遅しだ。」

10年ほど前に、バイクで人身事故を起こしてしまいました。

右折しようと思ったんですが、一方通行なんで、対向車は来ないと決めつけていたんですね、

そうしたら、自転車が来ました。気がついた時にはもう目の前に自転車があり、急ブレーキを踏んで、バイクは転倒、自転車がぶつかってきました。

バイクはほとんどスピードも出していなかったので、大きな事故にはならなかったのですが、一応人身事故です。病院に行き、治療費の支払いや、警察での事情聴取など、本当に心が折れる時間を過ごす羽目になりました。

大した事故じゃなかったのが不幸中の幸いです。しかし、事故を起こすということがどれだけ大変なことなのかは、しっかりと学ぶことができました。

小さな失敗をしたおかげで、運転に対する心がけも変わったように思います。

さて、話を本題に移しましょう。

ながらスマホで運転している人にたまに出会います。

多分、本人の中では、十分に安全には配慮しているという思いがあるのかも知れません。要するに、危険と安全を秤にかけて、安全の方ばかり見ている状態でしょう。

しかし、それは、周りの車や人が正常な動きをしている、ということが前提です。

事故は、自分がまともに動いていても、周りが予想しない動きをした時に起こります。その一瞬に危険を察知して、それを回避できたら、大きな事故にならずに済むかも知れません。

これは、あくまでも可能性であって、何ら問題に関わることなく日々を過ごしている場合がほとんどです。

だから、事故が起こるというわずかな確率に目を向けようとしないのですね。

一瞬の出来事だからこそ、そこでの回避行動のあるなしで、命を奪ったり、自分の命を落としたりすることを避けることができるかも知れないのです。

その回避行動を取れる準備をしているかどうか、果たして、ながらスマホに説得力はあるでしょうか。

自分は大丈夫という驕りは、事故が起こって、命が失われた時点で、激しい後悔へと変わるに違いありません。

刑務所で反省と後悔をしたところで、失ったものの大きさは減ることはありません。

生き方・考え方・習慣
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