「理不尽なことが起こるのが、歴史の真実。そんな中で、自分一人には、そんなことは起こらない、と思い込んでいるのが人の常なんだ。逆に言えば、今、うまく行ってることは感謝こそすれ、不満を持っているなんて、どれだけ勘違いすれば済むんだ。人として生まれ、体を持っていることだけでも奇跡に近い。」
人は、自分がその場面に直面して初めて、その重大性を理解できるものです。
他人のことは、場合によっては、「自分に起こらなくてよかった」という安堵感とか、下手な同情心を持つことしかないものでしょう。
しかし、世界を見渡して、歴史を見返して、人類は、理不尽を受け入れてきたと言えるのではないでしょうか。
例えば、ある民族が侵略をして、征服したら、その土地の人間は、殺されるか、奴隷にされるかです。支配者
の都合は当然のように押し付けられてきました。
また、流行病が一度流行ると、大量の死者が出るのは当たり前のことでした。
また、子供が産まれても、大人前生き残れるのは、大変なことだったのです。
今の時代だからこれを理不尽だと思うのでしょうが、かつては天変地異は運命の結果として受け入れるしかなかったのです。
さて、近年、科学が進歩し、医学も進みました。
日本では、第二次大戦以降、平和な時期が70年以上続いています。
その中で、理不尽なことが起こらないような、とんでもない錯覚を覚えてしまうようになりました。
大きなことに出会わないことが当たり前のように感じてしまうようになってしまったということです。
こういったことは、考え方、捉え方をしっかりと見つめ直す必要があります。
理不尽なことをいくら恨んでも、実態は変わらないとしたら、生きてる限りはそれを受け入れて、新しい人生を送ることが残されている唯一の方法です。
まさに、生きてるだけで丸儲け、というレベルで人生を捉えることも重要だということでしょう。