天神祭の起源、大阪天満宮の祭りの歴史と陸渡御と船渡御の見所とは

天神祭とは?

日本三大祭り、大阪三大夏祭り

いわゆる天神祭というのは、日本各地の天満宮で催される祭りのことをいうそうです。ということは、大阪天満宮だけの祭ではないわけです。

しかし、この大阪天満宮の天神祭は「日本三大祭り」のひとつなんです。あと2つは、京都の祇園祭、東京の神田祭だそうです。

さらに、生國魂神社の生玉夏祭、住吉大社の住吉祭とあわせて「大阪三大夏祭り」の一つにもなっているそうです。

祭りの期間は例年、6月下旬吉日~7月25日までになっていて、1か月間にわたってさまざまな行事が行われる盛大な祭りなんです。

天神祭の歴史

1000年以上の歴史を誇る祭

大阪天満宮の始まり

大阪天満宮の創祀は平安時代後期の949年といわれています。当時の村上天皇が当地に天満宮を造営されました。

その当時、都では落雷や疫病の流行などの天変地異が度重なり、それを鎮めるために「天満大自在天神」として祀った、「天神信仰」が成立したそうです。

天神祭の始まり

大阪天満宮が創祀された翌々年に鉾流神事が始まったといわれています。鉾流神事とは、大川に神鉾を流し、漂着した場所に神霊が休憩される後旅所をつくったのです。

そして、神霊が陸路で川岸までいき、乗船して大川を下って御旅所へ向かったという航行が船渡御=ふなとぎょになり、天神祭の起源だとされているそうです。

当時は旧6月に鉾流神事が行われました。そして、菅原道真の生誕の日に因んで旧暦の6月25日に船渡御が行われ、明治11年、太陽暦の採用で7月25日に変更されたわけでです。

現在では7月24日の朝に旧若松町浜である天満警察署前からはじまる鉾流神事が当初と同じく、天神祭の幕開け行事となっているのです。

じつは、この船渡御は何度も中止、復活を繰り返してきたそうです。さまざまな、政治的な問題や自然の問題を乗り越えて、現在の新しいコースの船渡御が復活したんです。

現在は、御旅所で行っていた神事を船の上で行って、それを両岸の大群衆が見守るという、「船上祭」へと発展していったわけです。

船渡御について

見事な大船団へと発展

現在の天神祭では、大阪の大川を航行する船の数は百艘あまりになります。さらに、この大船団を見ようと、多くの見物客が訪れるわけです。

天神橋の北詰近くの乗船場では、船にたくさんの弁当や飲み物が積み込まれます。そして、多くの人々が船に乗り込んでいきます。

あたりが暗くなってくると、川の両岸に無数の篝火や提灯などの灯りがともされます。そうなると、いやがおうでも祭りの雰囲気は盛り上がるわけです。

陸渡御から船渡御へとたくさんの講社が続々に船に乗んでいき、水上パレードがスタートします。

船渡御の航行のとき、船同士が行き交うときに「大阪締め」が交わされます。そして、賑やかに「だんじり囃子」が鳴り渡ります。

さらにあたりが暗くなると、奉納花火です。篝火と花火に照らされた大川の水面が幻想的に輝いて、演出はエスカレートします。

この船渡御の航行ルート沿いの川岸や橋の上では、約130万人の見物客が訪れ、大阪の一大夏祭りを楽しむわけです。

もう1つの見所、神輿

天神祭の神輿にも注目

天神祭には鳳神輿=おおとりみこしと玉神輿=たまみこしという二基の神輿が登場します。

現在では、鳳神輿は菅南八町会、玉神輿は大阪市中央卸売市場本場の業者の方々が講をつくって、陸渡御から船渡御まで参加して奉仕を続けてくれているそうです。

玉神輿

玉神輿の名前の由来は、神輿の頭部に宝珠がついていることからきているそうです。型式は一重台輪通り屋根御神輿というもので、釘は一本も使っていないそうです。

鳳神輿(おおとりみこし)

菅南連合といわれる人々が奉仕を続けています。鳳神輿には道真公の御神霊が乗っているといわれ、陸渡御と船渡御の中心として存在し続けているそうです。

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